【視察報告】点の階「・・・」(演劇)
2017年4月13日
H28年度 助成対象事業・視察報告
点の階「・・・」
会場となったのは、京都芸術センター。明治2年に開校した明倫小学校を改修、その姿をとどめたまま講堂・大広間・教室などでイベントなどが行われています。講堂に入ると、まず窓際でその枠に突っ伏して寝ている女性が目に入ります。少しぎょっとしましたが、どうやら舞台側が入口になっていたようです。ステージ側にもいつくか椅子が置かれており、客席にはひな壇が作られていました。
視察した公演は昼間の回で、講堂内は明るく、なんとなく昼ののどかな公園で数人の人々が囲碁や将棋をうっている風景を夢想してしまいました。あらかじめ「点転」という、囲碁をモチーフにした競技についての物語であることは、解説を見て分かっていたので、「もしかしたらステージに置かれている椅子も客席として使用され、どこかの囲碁センターのように、講堂の中の空間のいたるところでストーリーが展開されるのかも?」と、ステージ側の椅子に座ろうかと思いましたが、なんだか間違っているように思えたので辞めました。
取ってつけたような、場内アナウンスが流れ、舞台が幕を開けます。この会場にはふさわしくないアナウンスが演出であったということが、その後に登場してくる人々の会話からこの場が葬儀場の休憩室だと分かり、明らかになります。
物語は架空の盤上競技「点転」を小説として書いた小説家と、小説を指南書と勘違いしている「点転」競技のプロを目指す青年、小説家に本を返しに来た女性(別の回では男性として描かれているダブルキャストの配役)、窓際で寝ていた謎の女性の4名が登場する1幕の会話劇です。小説家の書く物語は自身曰く「難解じゃなさすぎる。書いてあることしか分からないから、奥行きと深みがなさすぎる」らしいのですが、とはいえ、この舞台上にあるのは、言葉を介した想像の中でしか成立しない「点転」という競技と、奥行きがないと言いながら、内容がほとんど分からず、想像力がどんどん広がってしまう「演劇」であり、彼の言葉とは逆の構造を持ちます。
「点転」については、説明という形で少しだけ語られますが、その競技の様子が劇場空間において描写されます。空間的な広がりとイメージの広がりとが同時に発生することで、そこが独立した、球体の中に入れられて浮かんでいるような不思議な感覚に包まれました。会話だけで形成される芝居で、このような感覚を得るという稀な体験をさせてもらったように思います。
久野氏の作品や演出には、すべてに伏線が張られているように思いました。最初のとってつけたようなアナウンスについてもそうです。劇場に不釣り合いな不自然さは、葬儀場のアナウンスであるので当然で、違和感を受けた観客は次第に自分たちが置かれている場面を知ることで安心感を感じ、芝居に入り込んでいくことになるのです。
「肝心なことはいちばん最後にやってくる」。チラシに書かれていたこの文言が劇中ずっと頭をよぎっていました。様々な予感をはらませながら物語は進み、少し座り心地の悪い感を受けながらもその予感がどこから来てどこに向かっていくのかを役者さんの台詞の中に探しながら80分の上演を楽しみました。
最後のシーンで窓際にいた女性が、窓を開け外に出ていきます。外では不思議な光が放たれており、女性は消えていきます。夜であればもっと美しかったであろうシーンは、私には少し分かりづらかったのですが、どうやら彼女も架空であるはずの小説家の別の小説を実際に体験した人物だったということです。
いくつかのエピソードが盛り込まれながらも散漫にならず、観客を最後までひきつけ続けた久野氏の今後の作品にも期待したいです。
アーツサポート関西 事務局 柳本牧紀