【視察報告】極東退屈道場「百式サクセション」(舞台芸術)
2017年1月26日
H28年度 助成対象事業・視察報告
極東退屈道場 「百式サクセション」
会場であるアイホール(伊丹市立演劇ホール)に入ってすぐ、その舞台美術に圧倒されました。四角いホールの角を利用して部屋の角と真ん中が舞台となり、空間を囲む三方に客席が設けられています。床には新聞紙が敷き詰められ、天井には雲が浮かんでいます。遠くにそびえるビル、電灯、自動販売機など様々なものが段ボールで作られていました。会場に一歩踏み入れただけで、その作品世界にもぐりこんだ感覚になりました。
最初に登場する老婆。ビールケースでできたステージに進みながらその腰はすっくと伸び、過去にタイムスリップしたのか、はたまた老婆の娘となったのか、歳が若返っていきます。老婆から「ナオミ」となった主人公が登場してステージで異邦人を熱唱しはじめるとその周りでは今後の登場人物となる人々が踊りだします。
この主人公の登場の仕方が見事だったのと、先日の舞台練習で見た異邦人のダンスシーンが冒頭に使われているということで、初めからこの作品への期待度があがりました。
登場する役者は6人。ナオミと彼女を取り巻く様々な人々へと役が変化していきます。タゴサクと呼ばれる男、ご隠居と呼ばれる男、ナオミの娘たち・・・登場人物それぞれがナオミと関わりを持ち、都市・老いと関わっていくという要素が随所にちりばめられており、それが天王寺公園の撤去される運命にある百円カラオケの場に集約されていく、という大きな流れがあるようですが、人間関係や人物のキャラクターなどの描写が希薄で少々分かりずらいところもありました。代表の作・演出を手掛けた林は、作品を通して「都市が老いた人々をみつめる眼差しとは」ということに迫りたかったと述べています。
極東退屈道場の特徴として劇中で行われる「ダンス」といものがあり、今回も作品の要所要所で役者が踊りだすシーンがありました。インド映画のように物語が高揚した場面でみんなが踊りだすというわけでもなく、ミュージカルのように歌やダンスが多用されている訳でもありません。当日配布のパンフレットで振付を担当した原和代氏は「常に監視され管理された都市に描かれる、均一化されてしまった身体とそれを見る観客の身体に、個々の持つ呼吸を回復させるためのマッサージのようなたわみの時間、そうなればいいなと思います」と書いています。まさに「たわみの時間」がそこに生まれているように思いました。
今回の作品を見て、林の伝えたい思いや演出したいことはふんだんに盛りこまれているのですが、それが少々まとまりを欠いているため、観客に伝わりきっていない印象を受けました。都市やそこに暮らす人々、また今回は老人問題など問題となる視点が広がりすぎていて、それにプラスして登場人物それぞれの視点も多いため観客は少し飽和状態になっていたのではないでしょうか。
若手作家、演出家として評価を受けているだけに今後の活動を期待したいと思います。
アーツサポート関西 事務局 柳本牧紀